街づくりには多くの住民の方々の参加が必要不可欠であり、さまざまな活動を通して良いコミュニティが生まれ、よりよい街にすることができると考えます。
次の世代にも自信をもって残せる街にしたいのです。
NPO世田谷桜丘まちづくりは、住民の自発的な発想と行動に基づいて運営されています。
従いまして、区などから運営の指示を受けるようなことはありませんし、住民の不満などを区などの行政にぶつけることを目的としておりません。
必要であれば行政側から協力を得たり、行政側に要望や協力要請を致しますが、あくまでも住民が自分達の手で自分達の住む街をより良くしていくことを目的としています。
また、これから活動の幅をより広げていくために、2005年7月に特定非営利活動法人世田谷桜丘まちづくりとしてNPO法人になりました。
今までの事務所のすぐ近くです。
2019年4月1日にNPO世田谷桜丘まちづくりの事務所兼リサイクルコーナーを移設しました。今までと違って1階でご利用しやすくなり、子どもさんにもお年寄りにも気軽にお入りいただくことができます。
ご家庭で不要になって、どなたかに気持ちよく使っていただけそうな品物があれば、ぜひご提供ください。
◆【NPO世田谷桜丘まちづくり】概要◆
[正式名称] 特定非営利活動法人 世田谷桜丘まちづくり
[事務所所在地] 〒156-0054
東京都世田谷区桜丘2-19-12 プライマリー千歳1階
[連絡先] TEL/FAX 03-3427-4181
E-Mail npo.sakuragaoka@diary.ocn.ne.jp
[代表者] 理事長:小野 富雄
[会員数] 46名(2023年3月1日現在)
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自然環境は人間だけでなく、そこで生活する動物や植物にとっても共有の財産です。
桜丘地区は緑も豊富で空間的にもゆとりがあり、地域コミュニティ作りも活発です。
このような恵まれた環境の下、『ゆとりあるまちづくり・人づくり』を通して、誇りを持って『次世代へつなげるまちづくり』を行っています。
具体的には次のような街の姿を目指しています。
- 木や農地などの豊かな緑を守り育てる街にする。
- 美しい景観を守り、楽しく歩ける街にする。
- 街の歴史財産を大切にし、文化を育む街にする。
- 高齢者や障害者に優しく、子育てがしやすい街にする。
- 街の核となる賑わいのある商店街がある街にする。
- 交通や防犯など、誰もが安全に安心して暮らせる街にする。
- 良好なコミュニティを形成し、住民が積極的に参加して作る街にする。
公園計画、商店街の改善計画の検討、「街づくり協定」締結など、「街なみ整備方針」に基づいて街づくりを具体化するため、各種の計画づくりやルールづくりを進めています。
定例協議会での部会毎の活動のほか、公園管理小委員会を設け、桜樹児童遊園の花づくりや公園の清掃を定期的に行なってきました。
また、2004年の7月から「わんわんパトロール桜丘」が発足し、地区内の愛犬家の多くの皆さんにご参加いただいています(当NPOが運営事務局を務めています)。
「まちづくりニュース」の発行や、各種イベント(まちづくり祭り、まちづくり音楽祭、桜丘ウォーキングラリーなど)を開催することにより、街づくりの普及や地区住民の交流に努めています。
このように当NPOでは、調査研究や学習活動をし、住民と情報や意見交換をしながら、街の将来像や改善方法などをまとめて関係機関に提言をします。
イベントなどを通して地区内の学校と連係を図りながら、子供たちへのまちづくり教育に努めています。
【NPO世田谷桜丘まちづくり】の前身、【桜丘まちづくり協議会】は、桜丘二丁目西地区にある都営住宅の建替え事業を契機として発足した【桜丘二丁目西地区まちづくり協議会】と、小田急線千歳船橋駅周辺整備を契機として発足した【千歳船橋駅南街づくり協議会】が、より広範に総合的にまちづくりを行うために1999年に統合して発足したものです。
2005年7月よりNPO法人として認められ、【NPO世田谷桜丘まちづくり】と組織名を変更して新たなスタートを切りました。
これまでの大まかなあゆみと開催したまちづくりイベントは次のようなものです。
『日本地名ルーツ辞典』(創拓社)によれば、世田谷区は世田谷町・駒沢町・松沢村・玉川村の二町二村が合併してできました。
昔、この一帯を指した「世田谷郷」の地名は、南北朝時代から見られます。
「世田」は瀬田・勢田・勢多とも書かれた時期があり、「谷」はカイと呼ばれていました。
これらの当て字からみて、セタは浅瀬、カイは開で開拓地を指し、浅瀬のある川の周辺を開拓した所の意と考えられます。
現在の世田谷区地域は「世田ヶ谷村」として、江戸時代のほぼ全期間が彦根藩(井伊家)領)、明治初期は関東にありながらも彦根県(のちの長浜県)の飛地、品川県、浦和県、小菅県、神奈川県(一部)とされ、ようやく明治5年(1872年)に東京府の管轄となりました。
その後、大正12年(1923年)に世田谷町に、昭和7年(1932年)に世田谷区が成立しました。旧地名の横根(旧世田ヶ谷村の字東横根、字中横根、字西横根、横根台、赤羽根、笹原、西原、原)と、宇山が現在の桜丘地区で、世田谷区成立時には世田谷5丁目として区画されました。
「桜丘」ができたのは昭和41年(1966年)で、この時に桜丘1〜4丁目ができ、昭和43年桜丘5丁目が作られ、現在の姿になりました。
昭和41年(1966年)に世田谷5丁目から改名した際につけられたもので、桜木という世田谷村の小字(こあざ)に由来します。この桜木は、世田谷城内にあった「御所桜」の木にちなんでつけられました(現在は吉良家の墓所、勝光院の裏手にある桜木中学校にその名をとどめるだけです)。この桜木の地に最初にできた小学校が桜小学校と命名されました。その後大正11年(1922)に現在の桜丘付近に桜小学校・横根分教場が開設され、昭和22年(1947年)に【桜丘小学校】と改名されました。そして極めて珍しいケースですが、この小学校の名前がそのまま新町名の由来となったと言われています。
かつてこの土地が開かれたときに建てられたお堂が京都風の造りで、京堂と呼ばれていったのが【経堂】に変わり、それが地名になったという説と、福昌寺を開いた松原土佐守が多くの蔵書を持ち、その書庫を【経堂】と呼ぶようになったという説もあります。更に、経本をたくさん入れた石室の上にお堂を建てて信仰の対象にしたので【経堂】と呼ばれるようになったとの説もあります。
NPO世田谷桜丘まちづくりでは、桜丘とその周辺地域の歴史と風土を紹介する目的で、歴史冊子「ふるさとの今昔」を2017年4月に刊行しました。地元の歴史を知る手頃な歴史冊子として多くの皆さまからご好評をいただき、約2,000部をお配りすることができました。
このたび「ふるさとの今昔」の改訂版を、世田谷区の地域の絆連携活性化補助金を活用して刊行する運びとなりました。改訂版では、この地に永くお住まいの方々のインタビュー記事をさらに追加・充実させるとともに、@経堂と船橋地区の生い立ちとスポット、A桜丘周辺の旧道や旧水路、B商店街のかつてのマップなどを新たに追加し、内容の充実を図りました。
本誌は下記の場所にてお渡ししております。ご希望の方は、
申込書へのご記入の上、NPO世田谷桜丘まちづくりの活動へのご寄付(一冊につき100円)をお願いしておりますので、ご理解とご協力をお願いいたします。
なお、取りに来るのが困難な方には、郵送などの対応も可能ですので、電話またはメールにてご相談ください(別途送料を頂戴します)。
[お渡し場所]
・NPO世田谷桜丘まちづくり (03-3427-4181) 桜丘2-19-12
[営業時間]13:00〜17:00 (木曜・日曜は休業日)
・肉の天野屋 (03-3428-4215) 桜丘2-20-7
・青山堂 (03-3420-6237) 船橋1-1-9
・菓匠 東宮 (03-3425-1038) 桜丘2-29-10
・三橋食料品店 (03-3420-4969) 桜丘2-17-16
・蔵吉家 (03-6413-1343) 経堂4-6-6
[連絡先]
NPO世田谷桜丘まちづくり 03-3427-4181
または 090-1033-1125(伊藤宛)
Email: npo.sakuragaoka@diary.ocn.ne.jp
「ふるさとの今昔(改訂版)」申込書(PDF)
(本文の下の部分に申込書があります)
ご質問・お問い合わせ等は
こちらまで