D)道や井戸などを住んでいる人たちが力を合わせて作ったので「共同」と呼ばれたため
「経堂」という地名の正確な由来は不明ですが、主な説として次のようなものがあります。
(1)経堂駅の近くにある福昌寺が建てられる前からそこは、江戸幕府のお抱え医師(御殿医)である松原土佐守という人の広い屋敷がありました。土佐守はたくさんの本を持っており、それを屋敷内のお堂に入れてあり、近所の人がその本をお経と思い込んだために「経堂」と呼ぶようになりました。
(2)昔、この辺りが野原であった頃にすでにお堂が建てられていましたが、その造り方が関東地方では見られない京都風のものだったので、これらが「京堂」と呼ばれ、それがいつの間にか「経堂」という字になりました。
(3)昔、お経の本をたくさん入れた石室を土の中に埋め、その上に小さなお堂を建てて村の人々が信仰の糧にしたので、これを「経堂」と呼んだためです。